私たち日本人が歴史認識として、知らなければならないこと!
「1946年2月13日に幣原内閣に手渡された「日本国憲法草案」第16条には「外国人人権保護」条項があった....
内閣法制局参事官、佐藤達夫は、「困ったことになった」と自著『日本国憲法成立史』の中に記している.....
日本政府は、3月5日にGHQに返した第3次修正案から、「外国人人権保護」条項を削除したら、即座にGHQはその削除理由を質した....佐藤達夫は言う、基本的人権条項の主語は「凡テノ自然人」にして、ここに外国人の人権も含まれるから、として「外国人人権保護」条項の削除を最後まで押し通し、GHQ側が折れた....その後、日本政府は
「凡テノ自然人」を、口語化第1次案から公布に至るまで「すべて国民」に書き換えた.....「国民」=“PEOPLE”と日本政府は押し切り、GHQは手のひらに乗せられてしまった.....
あの「外国人人権保護」条項が生きていたのなら、日本国憲法は世界に誇る憲法と呼ばれ、日本は人権について真っ当な国となり、あまつさえ朝鮮学校差別を防げたかもしれない.....
戦後でさえ、日本国憲法につくられた「日本国民」と「外国人」の間に立ちはだかる巨大な差別の壁.....」